日帰り散歩 松江・不昧公めぐり


「松江に行き、不昧公ゆかりの場所をめぐるべし」

不昧公……。って誰でしょう?と、
そんな間抜けは私だけかも知れないが、
ちょっと不昧公について説明させていただこう。

雲州松江藩・七代藩主、幼名を鶴太郎、
名を治郷といい未央庵・一々斎・不昧などの号をもっている。
不昧の号は、江戸・天真寺の大巓和尚が、無門関百丈野狐の章「不落不昧」から命名したもので、特に愛用した号である。十七歳で襲封し、藩政改革に治績をあげた。
また、若くして茶を学び、茶事の奢侈贅沢を戒め、茶道は修身治国の基たるべきを茶道随筆「贅言」で説いた。

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分かるような分からないような説明をしてみたが、
いざ松江に行ってみると「不昧公ゆかりの」だとか「不昧公ごのみ」というフレーズがそこかしこにあふれている。観光都市・松江よ、そんなに不昧公を押してくるならば、乗ってやろうじゃないかという気持ちにもなってくる。

とりあえずは、恒例になってきた腹ごしらえから行ってみよう。
今日のお食事は「不昧公ごのみの鯛めし」です。
不昧公は汁かけご飯を好み、「鯛めし」の命名も公によるものらしい。

鯛そぼろ・卵の黄身と白身・大根おろし・海苔・わさび等をご飯の上に乗せて、だしを注いでお茶漬けのように頂く名物料理だ。名物料理なのに……。

今回もミカンは天ぷら定食なんて注文しているよ。「おかずが足りなそうだと思って」って……。食べ始めてから周りを見回してみて「どうしよう、みんな鯛めし食べてる」とあせるミカン。名物料理だからね、当然だね。

こんなことまで恒例になってどうする、と思いつつもミカンはミカン、久しぶりに会うのにその相変わらずぶりに安心する。やってくれるなあ。

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お腹も落ち着いたところで、不昧公ゆかりの日帰り散歩の始まりです。
まずは、「不昧公ゆかりの茶室・明々庵」へ。

茶人として知られる不昧公の好みにより、松江の有澤家本邸に建てられ、不昧公もしばしば臨まれた席である。一時は隠居先である東京・大崎に移されていたそうだ。庵を丸ごと船で運んだそうだから、まあ豪儀な話だ。その後松平家から帰されて、昭和3年には松江・萩の台に建てられたものの、大戦を経て荒廃していたが、昭和41年の不昧公百五十年祭を機に現在の赤山の大地に移されて現在に至っている。
茶事の奢侈贅沢を戒めた不昧公だけに、シンプルにして清らな素朴な庵だ。

ここからは前号に続いての「僕の私のおじいちゃん自慢」になってしまうのだが、実は不昧公めぐりの件を母に話したところ、昭和41年の移設に私の父方の祖父が携わっていたという話を聞いた。大工だったとは聞いていたが、「本当なの?」と話半分に受け止めていたのだ。

しかし、明々庵でお茶を頂きながら資料を見せていただいたところ、昭和41年の移設に関するページに祖父の写真が!しかも棟梁って!おじいちゃんごめん。すごいよ、おじいちゃん。
かっこいいぜ、おじいちゃん。

明々庵ではお茶を頂きながら、
色々と興味深いお話を聞くことが出来ます。
ここでしか買うことのできない
「増鏡」というお菓子もおいしいのでおすすめだ。
私たちがお茶とお菓子をいただいている間にも、
若い女性グループが続々と訪れていた。
恋人募集中の男性にも明々庵はおすすめだ。

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続いて、程近い松江城におもむいた。
慶長16年に初代城主・堀尾吉晴が5年の歳月をかけて築いた城である。
山陰唯一の天守閣は5層6階高さ30メートルで、 市内はもちろんのこと、
晴れた日には大山まで見渡すことが出来る。 松江城に入るのは何年ぶりだろうか。
入り口で靴を脱ぎ、急な階段を上っていく。
途中の階には、松江城の資料が色々とあったが、
目を引いたのは松江市の各時代のジオラマだ。
「へえ、この時は橋って2つしかなかったのか」などと考えながら眺めるとちょっと面白い。

ミカンは展示されている鎧や兜を「なんか怖い」と嫌がっていた。
確かに薄気味悪いかも。大体にしてお城って薄気味悪いよな。暗いし。
明るいところを求めるように黙々と階段を上っていくと、最上階へたどりついた。
当日は残念ながら大山までは望めなかったが、いやー、松江の景色が一望だ。
と、同時にこんなところから城下を眺める殿様の気持ちってどんなものなんだろうと思った。
しかし、松江城を築いた堀尾氏以下、何人もの「松江の殿様」がいるだろうに、

この不昧公こと松平治郷への熱い想いは何なのだ。何でもかんでも不昧公づくしだ。

謎に包まれたところで、
最後に不昧公のお墓がある月照寺へ。
松江藩主の菩提所としても知られる浄土宗の寺である。
現在国の史跡に指定されている境内には、各廟所のほかに小泉八雲の随筆にも登場する巨大亀形の寿蔵碑、

毎年4月24日の不昧忌に茶筅供養が行われるという茶筅塚、江戸時代の名力士・雷電の碑など見所もたくさんだ。

小泉八雲で思い出したけど、これも観光都市・松江の得意技だ。
「不昧公ゆかりの」と同じくらいの頻度で「小泉八雲も愛した」という枕詞が見受けられる。
小泉八雲が松江に滞在していたのは2年足らずだということを知った時は正直驚いた。
松江のあの小泉八雲アピールぶりを見るとさぞかし長年住まっていたのかと思っていたから。
奥さんが松江の人だということを考えても、2年足らずの松江生活って、それじゃまるで転勤族じゃないか。

話が脇へそれてしまいました。門をくぐってほぼ正面に不昧公の眠る墓所がある。墓所の入り口には足元に印がつけてあり「ここからお城が見えます」とあった。仰せのとおりそこへ立って松江城を眺めてみると、なんだか寂しい気持ちになってしまいました。当日は休日で天気も悪くないにも関わらず、明々庵や松江城にくらべるとひっそりしていたからだろうか。 境内を歩いているとお茶席でもある書院があり、そこから眺める庭の姿は一幅の絵のようでなかなかよかったです。 ここまで不昧公をたどって一日歩いてきたけれど、不昧公ってどんな人?という疑問に一筋の光が。月照寺の宝物殿には不昧公像があるとの事だ。いそいそとミカンと宝物殿へ。ようやく不昧公像にご対面・・・この人、桂歌丸?衣冠束帯のような姿を想像していたのだが、おそらくこの像は隠居後の茶人としての姿を模したものなのだろう。不昧公さん、桂歌丸なんて言ってごめんなさい。 不昧公ゆかりの松江散歩、松江はやっぱり見て回るに値するスポットが豊富である。自分にとって松江はあまりにも生活圏内すぎてピンと来なかったけど、2泊くらいしてゆっくり観光客の目で回ってみたら楽しいだろうな、と思います。それにしても、松江のほかの殿様の立場ってどうなの?

さんいんキラリ No.06 より転載


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